患者さんから頂いた臨床例

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(臨床体験記)大阪府  N.Y.さん 30代女性

十数年来、体の不調を感じつつ過ごす日常は本人にしかわからない過酷なものがありました。偏頭痛、右こめかみ奥の鈍痛・ひどい時には頭を動かすことさえできない。目を閉じていても明るい部屋にいられない。右目がくり抜けそうな気持ち悪さ。施術を受け始める直前には、鎮痛剤も効かない。肩凝り、首がまわらない、手が上がらない、左肩から腕にかけてなまりのったようななんとも言えないだるさ、左肩から左手指先までのしびれ、左首から左後頭部耳側のしびれ、左太股外側のしびれ、左股関節から腰にかけての痛み、左ふくらはぎ外側の痛みと常時おこるこむら返り。

ハリ治療。初めは定期的に、その後は時折続ける。半年ぐらいは効果があったがだんだん効果がなくなる。整骨院、週2~3回で半年ぐらい通院。(その後、整形外科の受診に切り換えてからは行かなくなる。)

頭痛・左後頭部と左腕から指先へのしびれと痛みは、良くならず辛くなるばかりなので脳神経外科を受診。MRI検査でも原因不明。しいて言えば筋緊張型頭痛との診断。これといった治療はなく、痛い時に鎮痛剤を飲む。後は「あまり神経質にならずにリラックスして生活してください。」とのこと。しかし、「腕・肩の痛みで日常生活が辛く支障をきたす。」と訴えると、整形外科の受診をアドバイスされる。紹介状をもらい整形外科でもう一度MRI,筋電図の検査。筋電図の結果、胸郭出口症候群、手根幹症候群と診断される。治療としてリハビリを約1年半。首がまわるようになり、手を上げるのが楽になったが、日常生活には依然としてかなりの制限を受ける状態。途中4回肩と手首にブロック注射(?)をうける。また、心療内科の受診も希望して紹介状をもらうが結局のところ薬物療法と外部でのカウンセリングを進められたため、希望せず一度の受診で終わる。(以前にもカウンセリングは受けたことがあるが、自分の症状に対する効果には疑問を持っていた。)

以後は整形外科にて1ヶ月に1回、定期的受診を続ける。問診・触診を受け、痛み等に対する治療は湿布薬と鎮痛剤。その間も上述の症状があるので、筋骨整復院6~7回通院。あまり芳しくない。その他、自己療法として温熱療法10ヶ月、某社の健康食品1年程度。

長い間の体の不調が何をしてもスッキリとよくならない。当時の私はまさしく「溺れるものは藁をもつかむ」の境地です。とは言うものの、いろいろな治療や療法を受けてきておもわしい効果を得られなかったことで、新しい療法に対しては素直に受け入れることが出来なかったのも事実です。今になって先生から「初めての施術のとき、Yさんの施術は今回限りで、二回目の依頼はないと思ってました。」とよく言われます。きっと疑わしい目で先生のことを見ていたんでしょうね!私・・・(笑)。母(2年ほど前から先生にお世話になっていたらしいのですが、私は知りませんでした)から「はずみ自然療法院」の話を聞いてから施術を受けるまでには半年ほど思案していましたが、やはり体調の悪さから「とりあえず」一度施術を受けてみよう、と思ったのが始まりです。疑いながらも可能性のあるものを受け入れざるを得ないほど、体調がひどかったと言うことです。

施術は極めてシンプルなものですが、施術中の体の変化には劇的なものがありました。寒いわけではないのに体全体が震えて、歯が異常なスピードでガチガチ鳴る。痛い場所が一回の施術中に体を移動してゆく。この場合、痛みや違和感は体の中心(背骨に沿うように)を移動していく感じ。おなかが痛いのが胃痛になり、次に胸が締めつけられるようになったり、胸の中心に石の塊ができ、それが物凄く痛く感じたり、そうかと思うと急に咳き込んだり。吐き気がして、実際には吐かないが、つわりのようにトイレや洗面所に駆け込んだこともあります。頭に出ると、頭に輪をはめられたような、締め付けられていくような痛さや耳鳴りがしたり・・・。頭のてっぺんから頭の中の「何か」を引っ張り出されているような感じや頭の上半分の頭蓋骨がお寺の釣鐘の感じがして、頭の中でしばらくガンガン響いて、その後釣鐘がなくなり頭の中に石がありそれがだんだん膨張して、外側は石なのにその中はフワフワでポワポワとしたようなもので頭が壊れそうな、なんとも言えない、説明できない気持ちの悪い感覚。横になって施術を受けているのに立ちくらみのように頭がフラフラして頭だけ床の下に吸い込まれていくような気分の悪さ・・・。そして施術中必ずと言っていいほど毎回呼吸がしにくく息苦しくなります。また、施術中度々襲ってくる感情の噴出・・・。それを押さえきれず、幾度か先生を「叩く、ひっかく、つねる」の大暴れ(苦笑)。時には強烈な「施術拒否!」先生がそばにいることすらイヤで頭を抱えて部屋の隅のほうにへばりついていたことも。そのたびに施術は中断。このような時、私の中に「もう一人の自分」がいることを明確に意識することができました。その「私」が本当の私だと思える私に過去の苦しかった思いや逃げ出せなかった抑圧・どれほどあがいても思い通りにならなかった惨めな自分を思い出させるのです。そして今自分が進んで受けようとしているこの施術も「長い間(私)と(あなた)は一緒にいて一心同体なの!今さらどうして分け離す必要があるの?一つの人格なのに出来るわけない。無駄なことだから、やめておきなさい。」とその決意を打ち砕こうとするのです。この得体のしれない「自分」と対決するのが初期の施術では一番苦しんだことかもしれません。

今とりとめもなく、思うままに施術で起こる不思議な現象を書き留めてみましたが、先生の話では私の十数年来、体に出ていた難解な症状の根本は「心の問題」にあってそれが体の各部で症状となって表れている、「心からのサイン」が「体の痛み」つまり症状として表れている、と言うのです。だから体だけを診ていても改善させるのは難しいのだそうです。そしてこれらの施術に伴う反応は、これまで体の中に溜めきったストレスを「排泄」しているとのことです。また、私だけに固有に起こることではなく、多くの方で同じような現象が起こるらしいのです。私自身もこれまでに「心の問題」の重要性を何となくは感じていたのですが、では「こころ」と「からだ」の両方とどのように対峙していけばいいのか、というと全く答えが見つからない状態でした。手探りするように色々な事もやってみましたが、良くなることがなく、ややもすると余計に悪くなったのではないか、というのがほんとのところです。「何とかしたい!」「何とかして欲しい!」という思いと「何をやってもどうせまた結果は同じ・・・。」という諦めの思いの両方を持ってしまうのは、この苦しみの中にいる方なら誰にでも共通することだと思います。それが施術の中にも表れていたと思います。初期の施術ではいろいろな反応が出るのが20~30分後だったこと。この時間は自分の中では「こんな施術受けてもムダだ」という否定的な思いと「この状態からなんとか脱したい!」という前向きの思いが葛藤している時間だったと思います。それが今では先生が足首を持っただけ、手を体にそっと触れただけで体の中から追い立てられるように、このような反応が瞬時に出てくるようになったのは、自分の中でも「何とかなりそう」という安心感と「やっと苦しい状態から抜け出せるかも。」という希望が持てるようになったからかもしれません。

「排泄」という感じも、今まで胃のあたりに何か硬いかたまりのようなものがありそれが「嬉しい」「楽しい」などのプラスの感覚を心や体の中に入れるのを拒否しているような感じがあり、「笑う」ということを忘れていた気がします。実際、鏡の前で笑顔を作ってみても笑えない・・・。どうやって笑ったらいいのか・・・。反対に怒った顔や常に眉間やおでこにしわを寄せている顔は簡単にできていたのです!その頃はイライラすることや腹が立つことには瞬時に反応していました。それが今では胃のあたりのかたまりがなくなった感じがあり、いつもケラケラ・アハハと笑っていられるようになり、鏡の前で「どうやって眉間にしわをよせるんだったっけ」としわを寄せては「肩や顔が凝るからやめた。」というような状態です。そうなるとイライラすることは少なくなり「まぁ、いいかぁー」という感じの日常生活でも、特に大きな問題が生じることなく過ごせています。

現在、施術開始から半年が過ぎましたが、痛い部位ばかりを見てもらうわけではないのに、各部の症状は改善に向かっています。今では随分状態が良くなり回るようになった首・上がるようになった腕が、施術中にはかえって痛みやしびれのためにまったく動かせなくなるときの方が多いと思います。そんな時「Yさんはまだまだ心の中に、難しい問題を抱えていますね。でも、難しく考えないで!ありのままでいいですから。」と先生は笑いながら言われます。

確かに「完全に」というわけではないので、時折感情の抑制が効かないときや体の痛みもありますが、以前のようにその感情や痛みに執着してしまうことはなくなり、気持ちの転換が早く上手く出来るようになりました。以前は対人関係においても、私が私であるためには「自分を守らなければ!」という思いが強く、それによっていつも体に異常な「力み」が入り、自分の周りに変な壁を作って人と接していたのですが、今は心が強くなったおかげでしょうか、自分の体にも力が入らず、周りにも壁を作ることがなく、体も心も「ラク」になり、その上「私は私らしく生きてるな」と思えるようになりました。ほんとのところ、数ヶ月前までは自分という「存在」そのものが不安で「生きていてもしょうがない。死んだ方がましだ!」と施術中に叫んで、先生の制止を振り切って、自分の髪の毛を引きちぎり、腕をかきむしったり、噛んだりと自虐的になっていた自分がいたのですから。

具体的な体の調子としては、体全体の「疲れ」「脱力感」「体が凝り固まったような感覚」は随分と薄れ、一晩寝ると次の日に「疲れ」を持ち越さなくなり、頭痛や右こめかみ奥の痛みも最近はほとんど出ません。左肩から腕の痛みについてはまだ痛みがあるものの以前のようにどうしようもなく痛く、腕をもぎ取って欲しいと思うようなだるさ、痛さはなくなりました。その他の、私を苛みつづけた痛みも時々思い出すぐらいになってきました。長い間溜めてきたものが半年ぐらいで完全になくなるわけがないと思いますし、先生からも「長いお付き合いになりますよ(笑)。」と冗談めかしてよく言われます。

ただ、私は運良く、良い先生に出会えたんだと思います。原因のない体の痛みには「こころの問題」が関係している、ということに見識と理解がある先生であり、そういう方面の施術に対して多くの経験と技術のある先生であったことが幸いしたのだと思います。と言うのも、体の痛みに対しての施術は当然ですが、それと同時に心の部分の施術も加味してゆく形で両面をバランスよく診てもらっています。前述したような普通でない言動に対しても「心配しなくても、全然大丈夫ですよ。」と言いながらいつもと変わらない対応をしてもらいました。一人一人に対しての施術が違うのは当然のことだと思いますが、ひとりの患者さんに対しても、通り一遍の施術ではなく、その時々の状態に応じて「今、最良の方法は何か?」と常に考えながらの施術だと思います。

最後に、こういう世界に思い当たらない方々には私の体験記は奇異なものに映るでしょう。私も今この体験記を書くにあたって多くの部分を思い出して書いているのです。「ああ、ああいうことも、あった!あった!」という感じで。随分苦しめられた「もう一人の自分」も最近ではその影をすっかり薄めています。なんだか遠い「過去」として私の上をすーっと通り過ぎていったような。何十年も消そうとしても消せない思いで縛られていたのに・・・。今ではあの「苦しみの世界」にいたのは、果たして私だったのだろうか?と思えるほどに、ほんとに「解き放たれたような」自由な気分で毎日を送っています。その上、私の体や心だけでなく、家庭も和やかさを取り戻した感じです。家族には随分長い間、私のことで迷惑をかけてきたように思います。夫に関しては特別の感があります。「あんたのその苦しいの何とかしてやりたいけど、俺にはどうしたらいいのか分からへん。ラクになると思うことがあったら、何でもやってみたらええから・・・。」我家は決して裕福ではありませんが、それほどまでに家の中にも歪みが出ていました。その夫は最近「この頃随分落ち着いてきたなぁ。新垣先生やから、できたことかもしれへんな。」と話しています。

真っ暗闇の中で、長い間捜し求めていた「希望の光」を今やっと見つけることができました。その光はまだ小さく、道のりも長く厳しいでしょうが、この光を見失うことなく迷うことなく希望をもって未来に向かって進んで行きたいと思っています。

施術師より

Yさんの施術は、ご本人の希望により当初週2回のペースで1ヶ月続けた後、現在は月6~7回の頻度で行っている。それまでも施術中に患者さんから「熱い!」「痛い!」といって手を払いのけられたことは度々あったが、引っかかれたり、叩かれたり、つねられたりしたのは初めてだった。一週間ぐらい消えないあざをいくつも頂いた。時には施術中いきなり「こんなことしてもムダ!何にも変わらない!もういいから帰って!」と罵られたこともあった。でも、それらの強烈な痛みや罵りの中で「叩かれ、つねられ、罵られる私より、私を叩くYさんの苦しみの方がどれほど深く大きいことか・・・」とYさんの苦しみに思いを集中させる。最初は私の「大丈夫です」とか「よくなりますよ」という言葉に過度の拒否反応を示していたYさんだが、施術が進むうちに本来の自分の「明るさ」を見事なまでに取り戻してゆかれた。いつもYさんにお話することだが、「気楽にいってください。ダメなときはダメでいいんです。我慢しなくても、ありのままでいいです。いつでもぼろぼろになって構いませんよ。」「無理せずに助けを求めてください。無理難題で、わたしを困らせるぐらいで丁度いいです。」結局Yさんは三十数年に及ぶある種の抑圧のため「本当の自分」をありのままに表現できずにいたのだ。その軋轢が身体中に難解な症状として表れていた、というのが真相だろうと思う。この先、まだまだ乗り越えなければならない難しい問題はあるかもしれないが、それを今ご本人が強く望んでおられるのだから、必ず乗り越えてゆかれるのだと確信している。

(臨床体験記)大和郡山市  A.S.さん 40代女性

H9年9月。濾胞性悪性リンパ腫(進行がゆっくりである)と診断。

治療は抗がん剤だが、今治療してももっと症状が出てから治療してもあまり変わらない。おまけにその時点で寿命は後5~10年という話までされる。悩んだ末、無治療で様子を見ることにするが、あらゆる本を読み漁り「病気=医者が治す」と思っていたが、いろんな方法があり代替療法があることも知る。

あれがいいと聞けばあれを、これがいいと聞けばこれを、といろんなものを試す。AHCC,サメ軟骨、プロポリス、といった健康食品に始まり、尿療法、光線療法、足湯、Оリングテスト、気功的なことも受ける。また、食生活も大事だと知り、浄水器を設置、独学で玄米菜食の勉強をして自分なりにできる範囲で実行。

いろんなことをしながら、といっても何が効いているかも分からないし、金銭的にも辛いためだんだんサボりがちになる。約5年の歳月が過ぎようとしている頃(その間二人目を出産)身体のだるさが出てきて、症状が悪化してきた。

H14年10月。手薄になっていた代替療法を再びいろいろ開始するが症状は悪化する一方。肺にまで水が溜まり、呼吸さえしんどく、家の階段を上がるのもやっとの状態になる。医者からは入院治療を勧められるが代替医療の知識を得すぎたのか、抗がん剤が恐くて家族の言葉も聞かず、頑張れるところまで頑張ったが、どうにも呼吸が苦しくなってきてとうとう入院治療の覚悟をする。

H15年1月~約半年。抗がん剤治療を受ける。恐れていたほどの副作用はなく、ひとまず寛解状態(こういう病気は完治しにくく寛解という言葉を使うらしい)。

H16年1月。再発!完治は難しく再発しやすいと分かってはいたものの、代替医療で頑張りすぎている間にかなり悪化(治療開始が遅れたため)していたからか、あまりに早い再発に強いショックを受ける。この頃から骨髄移植も考えた方がいいと言われる。

前回の抗がん剤の影響で白血球が少なく再発してもすぐには治療ができなかったが、腹痛がおこり内臓に来たら恐いので4月から再び抗がん剤治療開始。一度使った薬は効果がなく、違う種類を使うが今ひとつ効果なし。それと並行して移植の検査も進めていく。兄弟で型が合えば成功率80%と高いが、兄と不一致。バンク登録を利用すると成功率50%。ドナーを探すが、この場合移植をすれば年内には命がない可能性を聞かされる。万一成功して病気がよくなっても後遺症に苦しむことも。また、骨髄移植の手術は病院により成績が違うようで病院を変えるか、かなり迷う。今回の再発では悲しいことに顔に症状が現れ、むくんだお化けのような顔と抗がん剤により抜け落ちた髪・・・、本当に醜い姿。見かけもひどいし、最終手段だと言われた骨髄移植を「死を覚悟して」考えなければならない最悪の事態。

まだ何か方法はあるかもと、本を読んでは新たな情報を手に入れる。「冷えとり療法(足湯、半身浴)」、「刺絡療法(ハリ)」など。副作用が少なくなるだけでもいいかとハリ治療に通い始める。また、精神的にもかなり参っていたので、迷ったとき困ったときの相談処(僧侶?ここで気功的なことも受ける)に行く。その頃は不安が一杯で「死にたいのか?」と思うほどいつも死が頭によぎっていた。この不安な気持ちを身内にはこれ以上言えなくて、精神的に参っていて気がおかしくなってしまいそうだった。その僧侶?のところでは話を聞いてもらっていつ行っても「大丈夫、治る!」と言ってもらえるから、その時は救われる感じだった。そのうち「先祖供養を。」と言われ多額のお金が必要だったが護摩木をしてもらう。しばらくして次は「生霊が憑いている!」と再び多額のお金を要求されるが、さすがにこれ以上夫に頼めず、でも、ここに行かなくなったら「心のよりどころ」がなくなる。どうしたらいいのか・・・。夜も眠れなくなっていました。身体にいいと思って始めたことが、余計にストレスになってきて身体によくないな、と思っている頃「はずみ自然療法院(以下はずみ)」に出会った。

「はずみ」は随分前に広告に乗っていた記事を切り抜いておいてあった。整体院の類だろうと思っていて、そのうち肩凝りでお世話になるかも・・・ぐらいの認識でした。でも、偶然本屋で「A塾」の本を立ち読みして、病気の人も見てもらえるのを知り、インターネットで資料を取り寄せる。「お金がかからない」「子供の面倒を頼まなくてもいい」「自分でいける範囲」と言うことで家族に迷惑をかけずに行けそうなので、予約をいれる。いろんなことで精神的にドン底状態。この時点ではハリ・僧侶は継続中。

H16年6月2日。「はずみ」1回目。πウォーター・足湯・半身浴・・・。どれも何となく知っていること。資料によると疾患の原因や施術回数・終了のタイミングなどが分かるとあったので期待して聞いたが、答えてもらえなかったことがガッカリだった(施術しても無理なら始めに言ってもらいたかった。お金をもうこれ以上使いたくなかったから)。それどころか「手術なしで何とか治りたい」と本心を話すと「それは請け負えません。」との答え。

初回の施術後、身体だるく、あまり動く気にならなかった。

とりあえず、半年ほど通ったハリをやめて、どんなところか分かるまで「ここに通ってみよう」という気になる。

「はずみ」の先生。親切にいろんな話を聞いてくれる。ここでも「死ぬことはないでしょう。」と言ってもらえ少し希望がもてる。施術中、とても気持ちよく眠ってしまいます。施術してもらっているのに眠ってしまうのは申し訳ないと思うのだけれど、「いつ」「どんな状況」で施術を受けても眠ってしまう。この頃移植の適応ドナー見つかる。受けるか受けないかまだ決められないが、ひとまず安心。とてもありがたい。見つかっただけでいい方向に進んだ感じがする。

「はずみ」。何度か通って施術を受け、話を聞いてもらったりするうちに、ドン底だったのが不思議と病気に勝てそうな「力」が湧いてきた感じがする。いつのまにか例の僧侶へも行かなくなり、「はずみ」一本にしぼっていた。今まではどの代替療法でも「抗がん剤をやめて自分のところの指導のみ実行するように」と言われていた。それで悪化するところまで悪化した気がする。「はずみ」は抗がん剤治療を受けてもOK・受けなくてもOK。そんなことはお構いなしで、患者である私が選ぶ選択が最良の選択である、と背中を押してくれる。私が「抗がん剤をやめる!」なんて無茶を言わなくなったから家族も黙って見守ってくれたし、先生には何もかも相談でき、頼るようになっていた。精神面も落ち着き、施術では身体も気持ちよかった。移植も恐かったが、する方向へ考え出すが、少しでも成功率が高い病院を悩み始める。

6月16日~。抗がん剤による免疫低下のため?皮膚の痒み。涙目。

7月12日~。すごく腫れていた左耳横の腫れがひいてきた(はずみ5回目)。

私は「はずみ」のおかげのような気がして、移植の決断がまた揺らぎだす。夫は私の移植を見越して、自らもドナー登録する。足の腫れがひどく、びっこを引きながら施術に向かう。手を当ててもらって、随分楽になる。身体のトラブルが起こりながらもいい方向に向かっている感じ。

7月16日。風邪の症状がないのに突然発熱。夫が熱を出していて私の白血球(1000)では太刀打ちできなかったのか?

7月23日。抗がん剤治療の予定が白血球700と低いため延期。

7月27日。また、発熱。白血球900。

7月30日。発熱のため治療延期。

8月11日。突然の腫れの退縮。病院での治療予定だったが、腫れがひいているからと治療なしで様子をみることに。移植の日程決まる(10月26日)。自分の中では移植する覚悟はした。でも、しなくていいなら、正直したくない。家族をもう振り回せない。家族が移植を望むのなら、移植を受けようと思う。私は「はずみ」のおかげで腫れがひいてきて、奇跡が起きたと思っている。顔の腫れがなくなり、良い状態。まともな輪郭、うれしい。

8月12日。「はずみ」施術日。腫れがひいたことで「はずみの施術」に関心が高まった夫が初めて一緒に行く。この頃から施術中は相変わらず眠いが、施術の翌日はたまらなく眠い状態。

8月24日。エコー。お腹の中もきれいになっている。移植しか考えていなかった担当医が、トラブル続きで病院では治療もしていないのにいい状態になってゆくことを不思議がり医者本人が「移植しなくてもいいかも?」と悩み始める。この頃からなかなか飲めなかった水もたくさん飲めるようになってきた。夜尿の回数が多い。腫れがひいた今でも「はずみ」の先生は「移植しても命は大丈夫!しなくても大丈夫!どちらでもSさんの思うままに」と言ってくれている。それを信じる。移植しても大丈夫だと思えるようになった。

9月2日。施術後、頭がカーッとして夜寝づらい。施術後、何か身体に変化が起こるような・・・。移植しなくてもいい感じ・・・。夜、お腹が痛くなる。9月16日。いい状態だったが、左まぶたと左顎(新たな場所)にしこり。骨髄移植、良い状態の時は「やめよう」と思ったが新たなしこりでまた悩みだす。担当医も私の状態を見て依然移植を迷っている様子。人生をどう生きるか、自分で決断しなければいけない!頭がおかしくなりそう・・・。

9月30日。とうとう決断日。担当医と最後の話し合い。私はもう悩むのもしんどくなり「えーい、やっちゃえ!」と思うが、夫と母が「リスクを考えると自分ならやめるかな」と言われ、肩の荷がおりた感じ。結局それで移植は取りやめ。骨髄移植を取りやめたことで、不安は一杯あるけど後悔しない。ここまでやるべきことはやった。選んだ道と自分の生命力を信じて毎日感謝して今を大事に生きていく。

10月4日。「はずみ」施術日。ここでやっていることを家でも手軽にできるように夫が先生から簡単な施術法を教わる。先生も快く引き受けてくれ、いろいろ考えて教えてくれる。

10月5日。「はずみ」施術後、左眼が痒い。目がぼやけて見えづらくなってきた。移植しないと決めたのに・・・。目ヤニ、充血ひどく見えない。眼科を受診。突然のおりもの。婦人科受診。何か起こるたびに不安になり、夜眠りづらくなる。それでも夫に先生から教えてもらったやり方で診てもらうと不思議とそのまま気持ちよく眠れる。

11月頃、先生からこれまで異常に突出していた仙骨の隆起が小さくなっていると言われる。いつのまにかいろいろやっていた健康食品なども全てやめて、今は「はずみ自然療法院」での施術一本になっている。施術そのものも気持ちいいが、話もいろいろ聞いてもらえ精神的にも落ち着く。いつも悩んだりしても、先生と話しているうちに結局自分で結果が出せるようになっている。体力的にも自信が出てきて、ボランティア活動をして社会に出るようになったのがきっかけで今は仕事までしている。ひと時の「絶望的な」自分の状態からは考えられないこと。動き出すと自分のやりたい事がドンドン出来てきて講座を受けたり、勉強もしたり、とても充実した毎日。いつ抜け出せるか分からない真っ暗闇のトンネルにいたが、何とかしようと思えば道は開ける。病気になったからと医者任せにしていたら今の私はなかっただろう。無駄な遠回りもあったかもしれないけど、その過程があったから「運命的な出会い」もあったのだと思う。私は病気になったからこそ、当たり前の普通の生活がありがたい。また、ここまで元気になって、いろいろ活動できるようになって、「生きるっていいなっ!」と日々感謝するようになった。もちろん、ここまで支えてくれた夫を始めとして家族や友人に心から感謝しています。

まだ完治したわけじゃないから、不安はつき物だけれど、やっと私は今あのドン底の苦悶の日々から抜け出して、新たな人生を歩み始めています。

施術師より

Sさんの施術は最初週1回、現在月2回の頻度で実施。初めてSさんが見えられたのは平成16年6月2日。見るからに憔悴しきった感じ。話を聞き、悪性リンパ腫であること、近々手術をする予定で手術をした場合年を越して生きられる確立が50パーセントであること、手術に対する不安、どうしても手術しないでこの病気を治してもらいたいと言うことを搾り出すように話される。話を聞き、「申し訳ないが、それはできません。」とお答えする。一介の施術家が生死の問題を前に呻吟している患者さんに根拠のない安請け合いや気休めの発言は至って不謹慎だと思うからである。40分程度の軽い施術で終わる。終了後、「こんなので?」という顔をされていたのが印象的。その時、もう2度とこの人はみえられないだろう、と思う。3日ほどして意外なことにSさんからの再施術の依頼。前回とは別人のような明るい話し方に驚く。来られて「施術後はいかがでしたか?」と聞くと、いきなり暗い顔になり「翌日から2日ぐらいしんどくて動けませんでした。」とのこと。驚いて「どうしてまた、施術を受ける気になったんですか?」と聞くと「体が行って来いって言ってるんです。」との不思議な答え。8月12日、ご主人と二人のお子を伴って来院。左顎の握りこぶしの大きさのリンパ腫の退縮を聞かされる。当時症状は最悪の状態で白血球の減少が著しく、抗がん剤の使用もできないという中での出来事で担当医も「医学的にはあり得ない事」と話していたらしい。前回8月2日の施術後、翌日から2日間発熱があったとのこと(ただ熱があるのに体は至って楽だったらしい)。

理想的な自然退縮であり、2回目の施術の折、Sさんが言われたことの意味が「ああ、こういうことだったのか!」とこの時はじめて合点する。その後、左眼に腫れが移ったが今はそれも随分と改善してきている。手術も2回の時期延期の後、現在はその予定はない。抗がん剤も長期にわたり使用せず。

今回、臨床体験記を患者さんに書いてもらうにあったっては、次のことに留意した。①一人はその数を増やしつつある「ストレス系」の患者さんから、もう一人は「難病」の患者さんから選ぶこと。②現在も施術継続中の方。③定期的に一症状に関して長期間(半年以上)施術を受けている方。④施術家(私)を気にせず正直に自分の感情を吐露できる方。と言うことで何人かの候補の中からYさんとSさんにお願いした。

Yさんも、Sさんもより完全な健康を求めて施術はこれからも続くだろう。信じてくださる多くの患者さんがいる限り、私もその責任を果たすために日々の研鑚のスピードをもっともっと上げていかなければという決意を、お二人の臨床体験記を読み、この文章をしたためるにあたって新たにしている。

「はずみ自然療法院」
                  新垣 俊幸

追記Ⅲ
平成30年 5月現在
難病のSさんは月1回の定期ケアの施術で元気に日常生活を過ごしています。来院した当時、小学生と保育園児だった二人の息子さんも立派な大学生になっています。過ごした時間の長さを感じてしまいます。
病院では年一回の定期検査のみ継続しています。

枚方のYさんは、RENの西日本の総事務局として会の運営になくてはならない存在になっています。
施術のほうも定期ケアの患者さんからの厚い信頼を勝ち得ているようです。
ホームページは・・・REN空術「さら自然療法院」

追記Ⅱ
平成27年 1月現在。
難病のSさんは月6回だった施術が月4回になり、平成26年秋からは月2回になり、今は月1回の定期施術でとても元気に過ごしています。

枚方のYさんは・・・
なんと、自分の回復の経験から私のもとで研鑽を積み「REN空術師」となって施術で頑張っています。
R・E・Nの総事務局で西日本担当としても、献身的にメンバーを支えてくれています。本当に不思議な成り行きですが、術師としては幸せな事だと喜んでもいます。
Yさんのホームページは・・・REN空術「さら自然療法院」



お二人とはこれからも太い信頼関係でつながっていく事と思っています。

追記Ⅰ
現在(平成22年12月現在)もお二人とも元気に来院されています。

最初の臨床例のYさんは、今では家事をこなしながら、「塾の先生」と「病院の事務の仕事」を両立させ、バドミントンの選手としても活躍しています。
最近は月に3回程度の来院でメンテナンスをしていますが、以前のように感情に押し切られて暴れるような事は全くありません。

今ではお互いに「平穏な?」施術時間を楽しんでいます。

Sさんは、今もメンテナンスとして月6回の施術を受けていますが…。
現状ではほとんど問題がないと思います。
病院は3カ月に一度の経過観察に入っています。

先日もいきなりの施術依頼で少し驚いたのですが、マラソンの練習で腿を痛めたらしく、週末の大会に出られるかどうかを心配していました。
家の階段すら登れなかった人が…。

腿の症状は施術をするとほとんどなくなり、12月5日(日)の「ならマラソン」10キロメートルに予定通り出場する事が出来ました。
結果、半分より前の順位でゴールしたとのことです。
その翌日に来院した折、結構筋肉痛で体が重いし、痛いといっていましたが、痛めた腿は全然大丈夫だった様子です(笑)。

お二人とも、初めて会ったときから見れば「別人」です。
施術家としては、うれしい限りです。

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